ペルー・ボリビア アンデス縦断の旅 14日間
2016年02月21日~03月05日
五日目(02月25日)    マチュピチュ村 → マチュピチュ → ワイナピチュ → 山頂 → 太陽の門 → レストラン → マチュピチュ → マチュピチュ村
04時00分 起床
04時40分 朝食
05時30分 駅前バス停からマチュピチュへ
06時05分 マチュピチュ着
06時20分 マチュピチュ遺跡に入る
07時10分 ワイナピチュ入山
08時40分 ワイナピチュ山頂
10時50分 太陽の門
11時40分 ロッジのレストランにて昼食
12時45分 マチュピチュ遺跡観光
15時50分 バスにてマチュピチュ村へ
16時30分 マチュピチュ村着
16時50分 マチュピチュ村散策
18時30分 ホテル内レストランにて夕食 
6時20分マチュピチュ遺跡に入場。 多くの観光客が並んでいます。 まずはワイナピチュに登るのだが入山は07時00分。
霧が晴れたらワイナピチュはこんな具合に見られます。 入場ゲート。1日400人限定(1回200人)! 入り口で名前を記入してから登ります。
登山道からマチュピチュ村とウルバンバ川が見えます。 アヤメの種類。
エビデンドラム
トウモロコシ・トウモロコシと言うの花。 狭い登山道を登っていきます。
小ピークを越えてワイナピチュを見上げます。 振り返って見ています。
エビデンドラム マスデバリア ラン科の植物。
ネバド・パリアカカ山 5,730m 高度を上げると西に雪山が見えました。 この石積みは食糧貯蔵庫の跡です。
マチュピチュが眼下に見えます。向こうの山はマチュピチュ山(年老いた峰)(ワイナピチュ山(若い峰))。この都市はインカの王パチャクティの時代の1440年頃に建設が着手され、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々が生活していました。
マチュピチュ村から続く九十九折りのハイラムビンガムロード。なぜこのような急峻な山の上に造ったか、ラファイエット単科大学のナイルズ 教授 は、「パチャクチ王がこの場所を選んだのは、圧倒する景色としか答えようがありません」と言っています。エール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近きところである、という点が場所選定の理由として挙げられています。
ワイナピチュ山頂です。2,700m標高差約300mでした。山頂は日本人の若者が多く訪れていた。 ???
上から見ると急な登山道です。
食糧貯蔵庫から望む。 滑らないよう慎重に下ります。
??? 遺跡まで下りワイナピチュ山を振り返ってみています。
遺跡からインカ道を通り太陽の門までを往復しました。 太陽の門です。マチュピチュに通じる峠に立っている。夏至の日にはこの門の間から太陽が昇る。
太陽の門から見るマチュピチュ遺跡とワイナピチュ山。 リャマも眺めています。
カルセオラリア ゴマノハグサ科。   遺跡近くまで下りてきました。
マチュピチュとは「老いた山や峰」という意味でビンガムが地元の人に聞いて付けたと言う。 「番人小屋」遺跡内で最も高い位置にあり、インカ時代の住民にとっては監視場所だったのでしょう。
マチュピチュ・サンクチュアリーロッジで昼食。 マチュピチュ遺跡を1911年に発見した、ハイラム・ビンガムの記念碑。
マチュピチュ遺跡の入り口からすぐのところにあり。インカ帝国の都市はスペイン軍に破壊されましたが、標高約2,400メートルにあるマチュピチュは無傷のまま残されました。奇跡の天空都市です。 儀式の石 この岩の用途、捧げ物を置いたという説があり、人や動物が生け贄として神に捧げたのではないか。また、死体を防腐させたのではないかという説もあります。そのため、「葬儀の石」と呼ばれることもあります。
小立性ベゴニア。 リャマも遺跡の観光?
ワイナピッチュ山を望みます。 マチュピチュ山を望む。雲に隠れました。
石積みの間に発生する苔を手作業で駆除する。 マチュピチュ遺跡にある急斜面には、にも段々畑(アンデネスが残っている。3m ずつ上がる段々畑が40 段あり、3,000 段もの階段でつながっている。雨季の降雨量の多いこの地で、積み上げられた石積みが500 年もの長期間にわたって崩れていないのは、当時の石積み技術の高さを証明している。石積みの段々畑には渓谷から細かい砂と表土が運び上げられ、また灌漑設備が整備されていた。
石切り場跡。インカ帝国は鉄器を持っていなかったが、高度な加工技術を誇っていました。実際は、石に楔を打ち込み、そこから割れ目を作って必要な石を切り出していた。
エジプト アスワンにも同じような石切り場がありました。
マチュピチュには4百軒ほどの住居跡があり、そのどれもが、20トン前後の巨石で造られていた。

石の曲線が美しい 太陽の神殿。クスコにあった太陽の神殿(現在はサント・ドミンゴ教会になっている)とよく似た造りになっていることから、「太陽の神殿」と呼ばれている。

自然の石をそのまま利用しています。
王の別荘のひとつの部屋です。マチュピチュを訪れた王が滞在した部屋とされています。
水汲み場。マチュピチュには、そこより高い場所を流れる川や湖は存在しません。マチュピチュ山に降る雨水や霧の水滴を集めて水路に流してるという説が有力です。 三つの窓の神殿。東側に三つの窓が開いていて、この窓から初代皇帝マンコ・カパックが生まれたと云う伝説が有ります
南十字星。主神殿のすぐ横にある石。南十字星を表したものとのこと 古代の時計!インティワタナ(日時計)。岩を削って作られており地震ではびくともしない。太陽や星の運行が信じられないほど精緻に観測されていたことを物語る遺構が、数多く発見されている。太陽が造る影でおおざっぱな時刻を知る程度のものでなかった。
ヘリコニア ???
緑がきれいです。中央広場は神殿と居住区を分けているようです。 ワイナピチュを望む。
聖なる石は、後ろの山々を崇拝するための祭壇として使われた。 コケ落とし作業中。
??? 石臼の部屋。ここは陶器の工場だったのではないか、また 水を張って月や星の軌跡を観測した天体観測の跡ではないかとも言われている。
750人もの人々が山間地に暮らしており、段々畑が発達したと考えられています。畑では、ジャガイモ、トウモロコシ、ユカ、キノア、コカなどの作物を栽培していたようです。 コンドルの神殿。下からでないと撮れません。
親子のリャマ?? マチュピチュで泊まった「INTI PUNKU MACHUPICCHU」ホテル。
サラダ。 魚料理。
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