ペルー・ボリビア アンデス縦断の旅 14日間
2016年02月21日~03月05日
六日目(02月26日)    マチュピチュ村 → オジャンタイタンボ → 要塞遺跡 → マラス塩田 → モライ棚田 → クスコ
05時40分 起床
06時40分 朝食
08時00分 ホテル出発
08時30分 高原列車「INCA REIL」にてオジャンタイタンポへ
09時00分 軽食
10時10分 オジャンタイタンポ着
10時50分 オジャンタイタンポ要塞遺跡
13時30分 マラス塩田へ出発
14時10分 マラス塩田
15時00分 モライ遺跡(円形棚田)
16時00分 クスコへ出発
17時40分 ホテル「TAYPIKALA」着
18時30分 ホテル内レストランにて夕食
早朝ホテル周辺を散策。 サッカー場があり若者が練習をやっていました。 ゴミ箱。
サッカー場のスタンド下に朝食スタンド。 ペルーの国民食「チチャロン」。
山の斜面にへばり付く様に家が立っています。 マチュピチュ行きのバス停。
街角のモニュメント。 インカの王パチャクティ像。
駅に向かいます。
駅に改札口。 駅構内。
カンナ。 駅構内のカフェ。
峡谷の間にマチュピチュ村があります。 ホームに入ります。
戻りはインカ鉄道の列車です。
ここで再度チケットのチェックです。 車内。
アテンダントのお姉さん。 ドライフルーツをコーヒー。
途中の駅で停車すると花売りお婆さんが。 インカ道を登っています。
インカ道 ウルバンバの82kmポイントのスタート地点。 オリャンタイタンボに着きました。
入り口専用。 出口では何も検札はありません。改札を出ると両側に土産物店が並んでいます。
チチャロンやフルーツを売っています。 オート三輪車。
「アルパ(民族楽器)を弾いて歓迎?? 入場券購入し入場。
オリャンタイタンボ遺跡。インカ帝国の砦の遺跡。1536年、マンコ・インカ・ユパンキスペインに対し反乱を起こした際、立てこもったが、スペイン軍の攻撃の前にオリャンタイタンボは放棄された。 整備された段々畑(アンデネス)からオリャンタイタンボ市街を望む。
岩壁に彫られた(自然)?「貯蔵庫を守る王冠を被る神」インカの初代王マンコ・カパックの顔で、村と遺跡を守ってくれている。
顔の右にはインカのコルカ(貯蔵庫)が残っている
インカ時代、コルカには村人から農作物が税として納められ、備蓄され、インカ道の建設に携わった人への報酬としてコルカの食物が与えられた。また、不作の年にはここから備蓄が放出され、人々を飢餓から救った。
皇帝パチャクティが息子のトパ・インカにインカに、「奪って豊かになるのではなく、与えて豊かになる」おさめる哲学を説いていた。
それから60年ほど後の1532年、エルドラドを探すスペイン人がペルーの海岸に姿を現す。インカ道とコルカの食料のおかげで宝探しの旅は順調に進んだ。
巨石を組み合わせた石壁。先のほうに窓のような空間が10個あり10の碧眼と呼ばれる。 精巧な作りでカミソリの刃も通りません。
精巧な作りです。 遺跡からオリャンタイタンボを望む。
巨大な6つの石を並べた神殿の壁。高さが4mで幅は10m、巨石は直接くっつけるのではなく、間に薄い石の板をが挟んである。巨石の重さは一つ50~80トンと推定、遺跡の横を流れるウルバンバ川の対岸から切り出して運んできた。 村まで下りてきました。 編み物を売っています。
地元の子供達。
糸を紡いでいます。 土産物店。 インカ独特のデザインでカラフル。
パチャクテク王か? 岸壁に建てられたカプセルホテル(赤丸)「スカイロッジ アドベンチャー」。
望遠で撮るとこんな風です。 TUNUPAで昼食。
お花が綺麗でした。 インコ。
レストラン内。 海苔巻きもありました。
フォルクローレの音楽が流れています。 レストランの庭。アメジストセージ。
リャマが草を食んでいます。 現地の子供。
ハイビスカス。 ???
良く見かける欄「エピデンドルム」。 ランタナ。
??? Cassia Hookeriana
レストランの前で土産を売る少年。 平地の少ないアンデス、家が山にへばり付いています。
インカ時代から続くマラスの塩田。乾季だと真っ白になるようです。 ここは標高3000m。棚田の数は約4000.4月から9月の乾季に製造している。
塩分21.7%を含んだ温泉。ここは1億4500万年前は海でした。6000万年前に隆起しました。塩の層へ地下水が流れ、濃い塩水が流れてくるようになったようです。
塩は1ヶ月で収穫できます。マラスの塩は結晶が大きいので、味がまろやか。一般の塩の結晶は、0.4mmですが、マラスの塩の結晶は、1〜10mmで、ゆっくりと固まるから塩の結晶が大きくなるようで
現地の子供。 モライ村。
ジャガイモ畑です。
ペルーはじゃがいもの原産地なのでその種類は数多く、国のじゃがいも研究所では、なんと3000種もの品種が研究されているそうです。
モライの棚田。「モライ」はケチュア語で「下にある円形」を意味する「ムユ・ユライ」から来たという説や、インカのトウモロコシの収穫月であった「アイモライ」に由来するなど諸説あります。 直径が100m以上もあるのが一番大きく、大小合わせて4つのムユ(サークル)があり、多くの農作物が実験栽培されていたと言われています。1.5m程度の段差で、上から下の高低差は30m程度の段々畑。
ギリシャの円形劇場や球技場のように見えるがインカの畑の跡。標高3550メートルにある円形の棚田だ。それぞれの場所で温度が違うそうだ。その温度差を利用して異なる環境で育つ植物を栽培していたという。 菜の花畑の向こうに雪山チコング山(5,500m)が見えます。が見えます。
バギーツアー。 若い韓国人観光客でした。 ガソリンスタンド。
お米のスープ。 チーズを巻いたチキンカツ。
レモンムース。 レストラン内。
ホテル「TAYPIKALA」客室。 バスルーム。
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