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今朝も日の出前シギリヤロックの撮影に! |
サギでしょうか? 朝は野鳥たちが多く居ました。200㎜では短かったようです。 |
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シギリアロックをバックに結婚式の撮影が行われていました。 |
黄金大仏。ダンプッラ仏教石窟寺院の入り口。左側から山の中腹まで20分程の歩き。 |
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黄金大仏も遠くシギリアロックを見ています。 |
参道にお供えする献花を売っています。 |
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トクモンキー。 |
アコン。英名でクラウンフラワー。 |
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プルメリア。 |
ダンブッラ黄金寺院入り口。高さ180mの岩山の中腹に建つスリランカ最大の石窟寺院です。当初は2つの石窟でしたが、後に2つ増設され、現在は5つの石窟があります。11世紀、3つの石窟に金箔の仏像160体が安置され、それ以後、黄金寺院と呼ばれるようになりました。 5つの石窟それぞれに仏像が安置され、壁画が施されています。1991年、世界文化遺産に登録されました。 |
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寺院を建造したのは、シンハラ朝第19代のワラガムバーフ王。紀元前1世紀、南インドのタミル人にアヌラーダプラの都を追われた際、修道僧が住んでいた洞窟に逃げ込み、ソーマ王妃ともども助けられました。 15年後に都を奪回した王は、修道僧たちに感謝の気持ちをこめて、数多くの石窟寺院を設けたと伝えられます。 |
第1窟に入りました。デーワ・ラジャ・ヴィハーラ(神々の王の寺院)と呼ばれる最古の石窟です。巨大な涅槃像が石窟の大半を占めています。窟内は狭く、後ずさりする余裕もないので、体長14m。 |
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石窟の壁や天井に壁画が描かれています。彩色の黄金色が剥げたり痛んでいる。壁画はオリジナルではなく、17世紀に当時の王の命で修復が行われ、別の絵が描かれてしまったとか。 17世紀の壁画は、その後も修復が繰り返されている。 |
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第2窟 仏像。 |
第2窟 仏像。 |
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第2窟はマハー・ラジャ・ヴィハーラ。「偉大なる王の寺院」とか、「マハラジャの石窟」と呼ばれています。偉大な王とは、寺院の創始者ワラガムバーフ王のことといわれ、王の立像も安置されています。
石窟は幅52m、奥行き25m、入口の高さ7m。黄金寺院で最大の規模です。壁画、仏像ともに素晴らしく、もっとも見応えのある石窟と評価されています。 |
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壁画。 |
第2窟 仏像。 |
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第3窟 マハー・アルト・ヴィハーラ(偉大なる新しい寺院)と呼ばれる。キャンディ王朝時代の18世紀に、キルティ・スリー・ラージャシンハ王の命で創建されました。 石窟内は黄金色に彩られて煌びやか。立像15体、坐像42体、全部で57体の釈迦像が祀られています。9mの涅槃仏も安置されていますが、こちらは足がそろっています。横たわって瞑想する姿です。 |
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第3窟 仏像。 |
第3窟 壁画。 |
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第4窟は「3人の王の寺」という名のバッツィーマ・ヴィハーラ。シンハラ人最後のキャンディ王朝時代の18世紀に造営された石窟で、「西の寺院」とも呼ばれます。50体以上ある仏像の多くは、黄金色などの装飾に艶がありました。この石窟は、受難の石窟として知られています。1例はストゥーパの盗掘災難。ひび割れた小さな仏塔がそれで、中に納めていた王妃の宝石が盗まれたそうです。
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第4窟 仏像。 |
第4窟 仏像。 |
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第5窟はデワナ・アルト・ヴィハーラと呼ばれます。1915年に倉庫を改造した最も新しい石窟です。1915年に改修工事が行われました。キャンディ様式の仏陀像11体が祀られていますが、色彩に艶がなく、他の仏像より見劣りします。
5つの石窟それぞれに特徴があり、仏陀の表情もさまざま。気に入った像をゆっくり眺めたいのですが、パックツアーにそのような余裕はありません。 |
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壁画。 |
コブラの守り神を被った仏像。 |
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石窟寺院の上の岩山の大きさが分かります。 |
ブルーロースター スリランカの国花。 |
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至る所に植えられています。 |
トカゲ。 |
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トクモンキー。 |
黄金寺院からの眺め。ジャングルです。 |
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大きなの口です。中には入る時間がありませんでした。 |
像の作り物と列をなす僧の人形。 |
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黄金の仏舎利塔。 |
ブーゲンビリアと黄金大仏。 |
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ダンブッラ寺院に見学に来た小学生達。白い制服 国からの支給だそうです。 |
ダンブッラ寺院前の池。 |
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オジギソウ。 |
オート三輪車の運転手。明るい運転手さんでした。 |
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荷台一杯に荷物を積んだトラクター。 |
コダチヤハズカズラ。
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カカオの実。 |
シンハラ語の新聞。 |
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緑が美しい 香辛料ガーデン。 |
アカホオオショウガ。(お紺の仲間) |
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香辛料ガーデン内のレストランで昼食。 |
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スリランカのバス。 赤いボディーは公営。 エアコンはなく窓を開けて走っています。 |
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スリランカのバス。 |
オート三輪車、トクトク、スリーホイーラー。個人営業が多いくなったようです。 |
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キャンディー ホテル 「QUEEN'S HOTEL]着。キャンディ湖から50mに位置する。
コロニアル様式の建築町の中心に建つホテルは、築160年以上という歴史ある建物。イギリス統治時代に建てられた総督の大邸宅。 |
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ウエルカムドリンク。 |
中庭から客室を見る。 |
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ホテルに荷物を置きしばらく散策。ホテル横のアーケード。 |
army。 |
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公衆電話。 |
コロニアル風の白い壁の建物。国立銀行。 |
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露天商。 |
果物が多いです。 |
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キャンディーマーケット。 |
魚類も豊富です。 |
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路地の小さな商店街。中に入る時間がありませんでした。 |
街中心の公園。 |
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郵便ポスト。 |
キャンディー湖。19世紀初めに、12年の歳月をかけてキャンディ王国最後の王であるスリー・ウィクラマ・ラジャシンハにより造られた人造湖である。湖の中央にある島は王宮からトンネルで行くことができ、王のハーレムになっていた。湖畔には佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ)が建っている。 |
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キャンディアンーダンス会場。 |
キャンディ王朝時代に宮廷で舞われていた踊りとスリランカ各地の踊りを取り入れたものです。 |
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キャンディアンダンスは、数分程度の演目が10個ほど組まれ、スピード感ある様々なダンスや皿回しのような曲芸、アクロバットのような動きなどが登場します。 |
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最後は会場に炎を持ち込んでのファイヤーダンスで楽しませてくれます。観客席にまで熱気の届く、燃える熾火の上を裸足で歩く。 |
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仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)。1603年、町の中心部にあるキャンディ湖畔に建てられました。純白の外観、シンハラ様式の八角堂、仏歯堂の黄金屋根が目立つ建物です。仏歯が祀られているお堂の扉が開けられるのは1日に3回。06:00、10:00、19:00のプージャー(礼拝時)です。今回の観光は19:00に合わせ入場しました。 |
ペラヘラ祭り(正式な名称は「エサラ・ペラヘラ祭」)の様子を描いた壁画。本堂へのトンネルは象が通り抜けられるように高く造られており、この壁画はペラヘラ祭りの様子で、「ペラヘラ」とは「行列」の意味だそうで、祭りは毎年、シンハラ暦のエサラ月(新暦7-8月)に国内各地で開かれており、特に仏歯寺のペラヘラ祭り国内最大級の祭りで、象の背中に仏歯を収めた舎利容器が載せられています。 |
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本堂。大きな象牙のある本堂は2階建。2階に仏舎利に収められた仏歯があります。現在のお堂は、18世紀に建立された3代目。壁画には神像、動物、鳥、花などが繊細なタッチで描かれていました。また、梁には蔦の文様や神像などが浮き彫りされています。
18世紀以降の作だそうです。 |
本堂の仏陀像です。金色に輝いています。数多くの象牙が仏像を守っています。 |
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一階の回廊部分に仏歯がスリランカへもたらされて以降の物語が絵にして並べてあります。 |
そのうちの一枚(9番目)です。「ガシバ王はバギネヤ王子が仏歯を奪い取ろうと戦争を画策しているので、仏歯を守るためにスダンタ・ダンタ とヘママラ
をスリランカに送り込んだ」場面です。 |
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博物館。寺院内に博物館があります。ガード・ストーンやムーン・ストーンの階段を上ると、仏像や歴代の王の遺品が展示され、壁には仏伝図が並んでいました。仏教はスリランカから東南アジアへ広がり、やがて日本へ伝来しました。 |
ペラヘラ祭の際に仏歯の入った仏舎利を入れて運ぶケースです。 |
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お供え物の蓮の花。人々は熱心に祈りを捧げ、蓮の花を買って捧げます
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本堂の二階、正面扉の奥に仏歯の入った仏舎利が祀られています。
仏歯は紀元前543年に火葬された釈迦の犬歯。犬歯は4世紀に南インドからスリランカへ渡ったとされます。スリー・メーガワンナ王の時代でした。 |
4世紀にインドから仏歯が持ち込まれた時の様子を描かれたレリーフ。女性の髪の毛の中に入れて
持ち込んだと言われており、髪の頭部が光っているように表現されています。
左はグハシバ王の義理の息子スダンタ・ダンタ、右は娘のヘママラ。 |
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夕闇に映える仏舎利塔。 |
見学に来た小学生達。 |
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ホテルロビー ホテルに戻りました。 |
2階フロアー。 時代が見れます。 |
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レストラン。 バイキングでした。 |
スイカの彫刻。 |
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スイカの彫刻。 |
スイカの彫刻。 |