インド洋の真珠 スリランカ8日間
10月12日~10月19日
三日目(10月14日)    シギリア → シギリアロック → ポロンナルワ遺跡 → シギリヤ
05時30分 起床
06時30分 朝食
08時00分 シギリヤロックに向け ホテル出発
07時10分 世界遺産 シギリヤロック
08時30分 シギリヤロック登頂開始!(1200段
10時30分 下山 
10時50分 ロウケツ染め工房
11時30分 ホテル着
12時30分 ホテルにて昼食

13時20分 ポロンナルワ遺跡へ出発
14時30分 途中木彫の店に立ち寄る。
14時45分 世界遺産 ポロンナルワ遺跡
16時20分 ホテルへ出発
17時50分 ホテル 「「SIGIRIYA VILLAGE] 着
19時30分 ホテルにて夕食
ジャングルのような木立の中に建っていました。 レッドジンジャー。 ショウガ科の多年草。
朝食前にシギリヤロックを撮影に出かけました。高さ約200m。
シギリアロック近くの木彫作り店。朝6時過ぎでした。 トクモンキー。
これより入場します。スリランカ中部にあるマータレにあるシギリヤ、シンハラ王朝のカサッパ1世によって、5世紀に築かれた王宮跡が岩山の上に築かれています。シギリヤロックはマグマが硬化してできた岩頸で標高は約370mあって楕円形の形をしており四方は切り立った崖。頂上には水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構が残っており、「古都シギリヤ」として1982年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
夏の宮殿跡。王族出身の母を持つ次弟モッガラーナの復讐を怖れ、アヌラーダプラから南東に60km離れたシーギリアへ逃れて遷都。岩山の麓に周壁を巡らし、水路(壕)を設けて要塞化。周壁の中には、水の庭園(広場)や岩の庭園、貯水池を備えて、都市の体裁も整えました。
宮殿内にある排水路のマンホール。 黒檀の木。
大岩群には修行場。微かな壁画修行場とも説教壇とも見て取れる。 シギリヤロックへの1202段の登り口です。岩にもフレスコ画があったようですが殆ど残っていません
岩壁に設けられた通路の上を歩きます。 上部の螺旋階段を上るとシーギリヤレディ洞窟です。
シーギリヤレディ洞窟内部。美女の壁画は、カッサパ1世が殺害した父を慰霊するため、描かせたと伝えられています。切れ長の目、ふくよかな唇。ほほえむ表情には気品があふれています。
これらの美女たちは一体何者?。王妃と侍女、天女など諸説あるようです。 赤絵の具で縁取りされた輪郭がくっきり。スリランカ美術の最高傑作と評価されています。
壁画は5世紀後半に描かれたフレスコ画。都が打ち捨てられた後は、1875年、イギリス人に発見されるまで、人目に触れることはありませんでした。 当時は幅140m、高さ40mの岩壁に500体ほど描かれていたが、その後の風化によって薄れたり、剥がれたりして、私たちが現在、目にできるのは20体ほど。僧院に使われた時代もあり、瞑想の妨げとして消されたとの説もあります。現存している絵は色彩が鮮明です。1500年も前の絵画とは、とても信じられません。
薄いハェッタで胸を隠している女性は侍女。高貴な女性は胸を隠さなかった。
ミラーウォール(鏡の岩)。回廊は高さ3mほど。赤茶色の壁が続きます。卵白や蜜蝋を塗って、ピカピカに磨き上げて。日が当たると、反対側の壁に描かれた美女の絵をきれいに映す細工だったとか。 中央部は兵士の宿舎跡であったとのこと。又、写真上部の大きな石は投石機でここで下からくる敵に対して投石するようになっていたようです。
ライオンの爪。 ライオンの爪が残る城門。城門にはかつて、巨大なライオンの像がありましたが、いまは両足の爪の部分が残っているだけ。
頂上まではあと一息です。 当時はこの削られた階段を上ったのでしょう。右の窪みは排水路です。
トカゲ。 頂上に貯水池。
1202段。頂上です。頂上はかなり広く、王宮や兵舎などの建物跡、貯水池などが残り、360度のパノラマ風景が広がっています。
玉座。 王はこの座から舞踊などを見たのでしょう。 沐浴場。
レンガを手渡しで運び修復中でした。
階段の途中から見るライオンのテラス 蛇つかい。
ガジュマル。 ???
ロウケツ染工房。 細かい手作業です。
象・花・千輻輪紋をモチーフにした絵柄。 ホテルで昼食。レストランからシギリアロックが見えます。
ホテルの庭先に出没したカメレオン。 コーンスープ。
コットロティ! インド風焼きそば。 果物。※これ以外に八宝菜・パパランが出ました。
世界遺産「ポロンナルワの古代都市」。サットマハル・プラーサーダと呼ぶ監視塔。石材をピラミッド状に積み上げた、高さは20mほどの塔。12世紀ごろの建造といわれます。基壇を含めると7層の建物。入り口の上には立像が彫られていた。ポロンナルワ遺跡は、1255年に完全放棄するに至りました。シンハラ王朝の歴代の王が保護し、普及した仏教は、ポロンナルワに多くの遺産を残しました。いまでは、アジア有数の大遺跡群として知られ、多くの観光客が訪れています。
ガル・ポタ。ニッサンカ・マーラ王の功績を讃える石碑があります。ガル・ポタ(石の本)と名付けられた石碑は、長さ9m、幅1.5m、厚さ50cm。世界一重い本です。仏教が初めて伝えられた聖地ミヒンタレーから100kmの道を運ばれて来たといわれます。 ワタダ-ゲ。直径約35mの円形基壇に建つ仏塔を、円形の塀が囲む珍しい形です。 7世紀に建てられた古い仏堂で、ニッサンカ・マーラ王の時代の12世紀に現在の姿になったと伝えられます。仏堂の周りには4体の仏像が坐し、壁の外に残る石柱は、木製の屋根を支えていました。
仏堂の周りには4体の仏像が坐する。 ムーン・ストーンは輪廻転生の浮き彫りを施した半月形の石板。保存状態が良く、欲望を表す炎、生命を表す象や馬、獅子、天国を表す蓮の花などが鮮明に浮き彫リされている。
遺跡の残骸。 蓮に浮かぶ仏壇は人とライオンが支えています。
ハタダーゲはニッサンカ・マーラ王の時代の12世紀後半に建てられました。入り口にはムーン・ストーンがあり、守護神像がガードしています。基壇にも浮き彫りがびっしり。
長方形の壁で囲まれたお堂の奥には、仏陀立像が安置されていました。
ハタダーゲの石壁は隙間がないくらい綺麗に積んであります。 ラター・マンダパヤ石柱。風に揺れる蓮の茎を表現しているとかで、彫刻が施されています。
トゥーパーラーマ内には右手のない立像が祀られています。右腕がないのは略奪か反対宗教者の破壊か? 建物の特徴はレンガ積みの円天井とアーチ。
ダーガバ。スリランカ に於ける、仏陀の遺骨(仏舎利)をまつる仏塔。ダゴバともいう。インドの ストゥーパの形式を継承し、基壇の四方にアーヤカと 称する方形突出部を付す。 守護神像。
ランカティラカは13世紀にパラークラマ・バーフ3世によって建てられた寺院。この寺院の特徴は巨大さ。寺院の奥には巨大な仏像があります。頭は取れているにも関わらず、高さ13mという巨大さ。
巨大な仏像を収める寺院は高さ17.5m、幅18m、奥行きは52mという巨大さ。
細部のェリーフの美しさも見逃せません。右は天女でしょか?
ガジュマル。壁を飲み込んでいます。 キリ・ヴィハーラ。キリとはミルクの意味。白い漆喰で覆われた仏塔。
ダーガバ。 ガル・ヴィハーラへの参道の入り口にお供えする花を売っていました。
ガル・ヴィハーラ遺跡は、大きな岩山をくり貫いて造った涅槃像、立像1体、坐像2体を祀る遺構。12世紀にパラークラマ・バーフ1世の命で造られた。仏像はなだらかな曲線と穏やかな表情が特徴。ポロンナルワ遺跡群の最高傑作。浮き彫りで飾られた岩肌を背に瞑目する姿。高さ4.6mの像です。
岩を彫った御堂の石窟にも仏陀坐像が安置され、周辺にヒンドゥー神も彫られていました。その右側に巨大な立像と涅槃像があります。涅槃像は、全長14m。目を閉じて、穏やかな表情で横たわる仏陀の像です。流れるような曲線が美しく、木彫りの仏像にも見えます。
高さ7mの立像が安置されていました。涅槃像の近くに立っているので、仏陀の入滅(死)を悲しむ弟子アーナンダ像といわれています。 中央に祭壇があります。
BACK BACK NEXT
HOME
海外旅行記
海外旅行記
inserted by FC2 system