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朝食前、キャンディー湖周辺を散策。ここでもカップルの撮影が行われていました。 |
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仏歯寺は06:00からプージャーが行われるためお供えの花が売られていました。 |
上段はジャスミンの花、花壇の花はスイレン(英名はwater lily)。 |
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カンナ咲くキャンディー湖。 |
QUEEN'S HOTELです。 |
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ホテル前の通り。横断歩道付近にジグザグのラインを書いて注意を促しています。 |
ホテルの中庭。客室から。 |
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スリーホイーラーと路線バス。 |
紅茶店。 |
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ローリングマシーン(揉捻機)。英国製で蒸気エネルギーで動かしていました。 |
紅茶を一服頂きました。 |
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聖書の岩。 |
スリランカの中央高地を走っています。 |
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スリランカ名物 カシューナッツ店。 |
スリーホイーラー店。 |
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ヤシの実とカシューナッツを売っていました。 |
一路ゴールを目指しています。 |
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ムッサエンダ・フィリピカ 。アカネ科コンロンカ属の常緑小低木。 |
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高速道路に乗ります。2011年11月、初めて開通した片側2車線の南部高速道路です。ゴール郊外のピンナドゥワまで全長96kmを結んでいます。標識が日本の道路と似ています。日本の援助を受け建設。建設費は約540億円。JICAが約250億円、アジア開発銀行が約140億円を支援しました。計画より3年遅れの開通でした。 最近は中国寄りになっています。 |
上り線サービスエリア。 |
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サービスエリアの男子トイレ。 |
エリア内の休憩設備。 |
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ゴールに近づいて来ました。 |
インド洋です。 |
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三人乗りです。後部の人もヘルメット被っています。 |
昼食に寄ったレストラン。 |
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ここもバイキングでした。 |
インド洋に面しているので、2004年のスマトラ沖地震では大きな被害を受けたところです。 |
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黒檀で木彫の土産品を作っていました。 写真を撮ったらチップを要求されました。 |
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ゴール バスターミナル。 |
ムーン要塞のシンボルは、石造りの時計塔と城壁。周辺の要塞跡は公園化されています。裏手の草原から、堅牢な稜堡と城壁、風格ある時計塔の3点セットが眺望できました。 |
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海からの侵入者を防ぐための城壁は堅固な石積み工法。2004年のスマトラ沖大地震の津波から町を守り、現代でも立派に役目を果たして称賛されました。要塞にも高さ6mほどの津波が押し寄せたそうですが、城壁を越えることはなく、1人の犠牲者も出さずにすんだという話です。津波以後は「奇跡の世界遺産」と、呼ばれるようになった。 |
クリケットはイギリスで生まれたスポーツ。投げて、打つ試合形式は野球の原形といわれます。世界100か国で親しまれ、とくにイギリスの植民地だった国々では国民的スポーツとして普及。
スリランカでも一番人気のスポーツ。 |
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公園に遊びに来た親子。お兄ちゃんに ”クマもん” の缶バッチを付けました。 |
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堅固な城壁(堤防)。 |
城壁の内側。 |
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植民地時代の面影に触れた後、海辺の要塞にやって来ました。オランダ人が支配した17世紀に整備、イギリス人が拡充したムーン、スター、アエロスなど、14の稜堡を持つ要塞が残っています。 |
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大洋です。 |
城壁の内側の、旧市街はインド洋に突き出したガラ(シンハラ語で岩)の岬にあり、城壁に囲まれた狭い区域。コロニアル風の建物を改造したホテルやレストラン、ショップが並んで、他の町とは違った異国情緒を醸しています。 |
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ゴールはスリランカ最南端の都市で、約10万人が住む南部州の州都です。14世紀にアラブ人による東方貿易の拠点として栄え、その後、ポルトガル、オランダ、イギリスに支配されましたが、旧市街には、それぞれの時代が紡いだ特色が残されています。 |
1938年に建てられた真っ白な灯台。 |
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灯台の下には浜辺で遊ぶ人々。 |
枯れ木とインド洋。 |
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服を着て海水浴しています。 |
愉しそうです。 |
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メーラ・モスク。多くのイスラム人が住んでいる。モスクもオランダ植民地時代に建てられた。 |
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オール・セインツ聖堂。 |
1752年に建造されたオランダ改革派教会内のステンドガラス。 |
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街角風景。 |
植民地時代の置物。 |
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国立海事博物館通り、オランダ植民地時代の倉庫だった建物。 |
街角風景。ポストは六角形。 |
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アフンガラ ホテル「Heritance Ahungalla」 ロビー。 |
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ロビーから見る専用プールとインド洋。 |
ホテル客室。 |
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洗面室。 |
太陽は望めませんでしたが、西の空が赤くなりました。 |