イタリア15都市周遊
2015年4月8日~4月17日
八日目(4月15日)    アルベロベッロ ポンペイ  ローマ ホテル 
05時30分 起床
07時00分 朝食
08時00分 ポンペイに向けホテル出発。
12時00分 ポンペイ着 
12時10分 レストランにて昼食
13時30分 世界遺産 ポンペイ遺跡観光
15時10分 カメオ工房
15時50分 ローマに向け出発
19時10分 レストランにて夕食 カンツォーネ ディナーショウ
21時50分 ホテル 「MERCURE ROMA WEST」 着
アルベロベッロ郊外。 車窓から。 アルベロベッロ郊外。 農家の納屋でしょう。
田園風景。 トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。
トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。 ムスカリ。 トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。
トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。 ゼラニューム。 トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。 マーガレット。
トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。 アイリス。 トイレ休憩で立ち寄ったGSで見つけた花。
GS。 車窓から。
車窓から。 山の頂に町が造られています。
車窓から。 車窓から。
車窓から。 車窓から。 ヴェスヴィオ山。
ポンペイに着きました。 昼食に寄ったレストラン。
観光客で賑わっています。 シーフードサラダ。
大きなピザ 40cmほどあります。 デージーかな?
ポンペイ遺跡エセドラ広場。 遺跡ゲート。
入場券売り場。 入場料11€。
ゲートを抜けると木立に囲まれたジネストレ通り。 通りの左は遺跡です。 花は杏でしょうか?
当時の墓です。 ??花。
剣闘士の兵舎.。この広場で剣闘士たちが訓練していたそうです。
円形劇場。1748年に発掘された最初の遺跡があります。この劇場は、紀元前80年頃役人クインチォオ・バルガとマルコ・ポルチョによって建設されたと言はれる堂々たる劇場です。
(左)スタビア通り。車道と歩道が分離されている。(右)住居跡。 西暦79年8月24日にヴェスヴィオ山は大噴火した。この噴火は13時頃に始まり、水蒸気爆発のあと、大量の軽石が噴出し、周囲に堆積していった。翌朝7時に火砕流が発生し、周辺の町を住民もろとも飲み込んだ
竈跡。 ピザ窯。
車道に飛び石。車道に汚水も流していたので横切るため飛び石を置いた。 ローマ風呂の遺構には、この高床を支えた土台が並んでいるだけのものもある。サウナのように蒸気があふれる浴室内の温度は40℃前後、東端に大理石でできた長方形の浴槽があり、熱い湯が満たされていた。
天井を飾るスタッコ装飾。大きな組紐文で菱形を形成している。彩色は赤が残るだけだが、当時は華やかだっただろう。 フォーロの公共浴場。オンドルの設備もあります。
壁は二重になっている。 脱衣室跡の展示室には石膏で型どりした死者の最後の様子。口を手で覆っている。
当時、蛇は信仰の対象でした。娼家に寄った帰りの男たちが、壁で立ち小便をするのに業をにやした建物の主人が、神聖にして犯すべからざる存在を壁画にしたというわけです。 娼館のベッド。
娼館にある絵。言葉が通じなくても解るようメニューを絵で表している。 路地ですが車道と歩道が分かれています。
蛇口跡。水道管に鉛を使っていたことが当時の人間が短命であったことの一つの原因だとする説もあるそうです。
水道管が残っています。 娼家近くの敷石。??形が示す先には娼家があります。当時 外国人への案内表示です。
フォロからヴェスピオス火山正面はジュピター神殿(カピトリーナ三神神殿)。右のアーチはネロ帝の凱旋門。左のアーチは名誉アーチ。 フォロ東側柱廊柱の向こうはエウマキーアの建物。エウマキーアとは女司祭の名。洗濯と染色業の組合事務所を設置する為に、彼女の命により建てられた。
フォロの東西と南の三方には柱廊が巡らされ、北側にジュピター神殿があった。柱廊の上には回廊があったそうで、そういう目でみれば2階部分の柱が細くなっているのに気づく。 美しい文字です。
エウマキア館。女性神官エウマキアが寄進した、エウマキア館の入口です。エウマキアとは毛織物業で財を成した女性。左右の門柱の大理石には繊細なアカンサス唐草のレリーフが施されています。
ヴェスパシアヌス神殿の彫刻板。「ヴェスパシアヌスの守護神を祀る神殿」です。皇帝を称える儀式に雄牛を生け贄として奉げている場面。ハンマーは牛を殺すものでしょうか、中央付近にラッパを吹く人、左に皿や、壺を持つ人も見えます。 マケルム。食料品の取引がされていたとされる紀元前1世紀の建物。
12本の石柱が円形に並び、一見「ストーンサークル」とも思える施設がありました。
フロントーネの家 壁画。人体石膏像が置かれているのは、「フロントーネの家」と呼ばれる遺跡の一画。家の内部は美しい壁画で装飾されており、裕福な家の食堂だったそうです。
フロントーネの家 石膏像。火山灰の中にあった空洞に石膏を流し込む方法で、火山灰と共に有毒ガスに襲われた住民の逃げまどう姿が再現されています。断末魔の襲う瞬間の再現はとてもリアルなのですが、頭部からは本物の頭蓋骨が覗いており、これが単なる石膏細工とは異なることを覚りました。この男性はウェストにベルトが巻かれており、往時の奴隷の証しだそうです。
遺跡から当時生活で使用した土器などが数多く発掘されている。 火砕流から手で顔を覆うている。
夜道でも道が分かるように、路面にはキラキラ光る蛍光材が埋め込まれています。 当時の建物の残骸。
柱の一部分でしょうか? 高さ1.5mもある様な大きな壺です。
??花。 ??花。
ポンペイと同じように、1783年浅間山天明の大噴火で発生した火砕流に嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれて483名が死亡したほか、群馬県下で1,400名を超す犠牲者がでた。 GS。
カメオ工房。細かい手作業です。 一人乗りのトラック。
夕食のレストラン。最後の夜はカンツォーネディナーショウ! ワインは一組に1本出ました。
ブルスケッタ。 仔牛の薄切りステーキ。
ミーナ(砂に消えた涙)・チンクエッチィ(夢みる想い)日本人にも聴き慣れた歌を披露。 デザート。
ホテル 「MERCURE ROMA WEST」 客室。 洗面室。
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