イタリア15都市周遊
2015年4月8日~4月17日
五日目(4月12日)    フィレンツェ ピサ フレンツェ (ミケランジェロ広場 ショニリーア広場 ウフィッツィ美術館・ベッキオ橋・ドゥオモ広場) イタリア新幹線にてナポリへ ホテル 
05時30分 起床
07時00分 朝食
08時00分 ピサに向け出発
09時10分 ピサ着 世界遺産 ピサ観光
11時20分 フィレンツェへ
12時40分 フィレンツェ ミケランジェロ広場
13時10分 レストランにて昼食
14時30分 世界遺産 フィレンツェ観光 シニョリーア広場・ウフィッツィ美術館・ベッキオ橋・ドゥオモ広場
17時20分 中央駅(サンタマリア・ノヴェッラ駅)
19時40分 新幹線 イタロ2等車 にてナポリへ 故障にて80分遅れ 列車内にて弁当
22時40分 ナポリ着
23時05分 ホテル 「HOTEL TIEMPO」 着
ピサに向かうバスの車窓から。列車が見えます。 「ノットリーニの水道橋」と呼ばれ、1823~1832に工事が行われました。
高さは12m、延長4km、459のアーチが列なっている。
ピサに到着。ドゥオモ広場への連絡バス。 連絡バス車内。
ドゥオモ広場は城壁で囲まれています。 サンタマリア門からドゥオモ広場へ入りました。
ドゥオモ広場。1.サンタマリア門、2.洗礼堂、3.ドゥオモ、4.斜塔、6.納骨堂。 手前から洗礼堂、大聖堂、鐘楼、カンポサントと、4つの白い建築物が並び「奇跡の広場」と呼れる。
ドゥオモ。1068年から50年かけて建てられた柱列の並ぶ白大理石の大聖堂。 天使の像。
白大理石の美しい柱列で囲まれた斜塔は、ドゥオモの鐘楼。高さは北側55.2m 南側54.5m その差は70cm南の方向に5度30分傾いています。
洗礼堂。1152年に着工。1260年からは二コラ・ピサーノが二層目の建築を始め、ピナクルとペディメントが繊細なレース模様のように重なり合うゴシック様式に仕上げました。丸屋根が建築されたのは十四世紀で、屋根の半分は素焼きの赤い瓦、半分は大聖堂の屋根同様鉛の板で葺かれています。直径系約35m、高さは頂点の像を除いて約55メートルで、建築様式の移り変わりを反映してピサ・ロマネスク様式とゴシック様式で構成された建物となっています。 外壁の三角形の中にある聖母や、聖人、預言者、福音書記者の胸像。
ニコラ・ピサーノの説教壇と大きな洗礼盤。 綺麗なステンドガラス。
2階へも上がることができ。中央部分にある8角形がビガレッリ作の洗礼盤だ。 2階の窓からドゥオモを見る。
床は大理石のモザイクとレリーフが描かれていた。
1260年、ニコラ・ピサーノ作の説教壇。 大理石に彫られた十字架のイエスキリスト。
ドゥオモ。都市国家ピサが、パレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念し、聖母マリアに捧げることを目的に、ギリシャ人建築家ブラスケトスの指導のもとに1063年着工され、12世紀になってライナルドに引き継がれて、1118年に奉納されました。 ファサード中央扉上部。半円形部分のモザイクは、「聖母と4天使」です。プラートのアントニオ・マリーニのデザインを元に、ルッカのジュゼッペ・モーデナが1829年に作成したものです。
大理石の柱にも細かい彫刻が彫られています。 室内は68本の太い列柱がずらりと並ぶ。この柱の多くはパレルモ沖海戦でイスラム教徒から奪い取ったものという。
大聖堂の南側にある長細い建物です。主に7~15世紀の、ピサの貴族が埋葬されている墓地です。 ピサの斜塔とドゥオモ。
ドゥオモ広場や土産物街を観光する馬車。 郵便箱。
城壁の外は土産物店が並ぶ。 縁石の上にも。バック類は全て偽物です。
花の名前がわかりません??
花の名前がわかりません?? イタリア風リヤカー。
一人乗りのミニカー? モデル撮影でしょうか?
ミケランジェロ広場のプレート。 ミケランジェロのダヴィデ像のレプリカ。
ミケランジェロ広場は小高い丘の上にあり、アルノ川の向こうに広がるフィレンツェ市街を一望できる。
アルノ川に架かるベェッキオ橋。 渋い建物は国立図書館。
グラツィエ橋。 ヴェッキオ橋。
ファーストフードのお店です。 行列が出来ていました。 行列は”焼きパイ”のようです。
昼食に立ち寄ったレストラン。 ビール4.5€。
レストラン内。 魚 舌ヒラメ。
フィレンツェ名物パンと野菜のスープ。 フィレンツェ待角風景。
フィレンツェ待角風景。 ここにも馬の繋ぐ金具が有りました。
シニョリーア広場で行われている。鼓笛隊の演奏に合わせて旗振り隊の”旗投げ”演技が披露されていました。
緊張気味の僕! 力強い肉体美を誇る、高さ約4mの「ダヴィデ像」。
ウッフィッツィ美術館前に立つパフォーマー。 ウッフィッツィ美術館。イタリアルネサンス絵画で有名な美術館である。1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館としてヨーロッパ最古のものの1つである。
天井にはグロテスク装飾と呼ばれる独特の絵が描かれています。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻の肖像」 1465-1466年。 ボッティチェッリ作「春」1477-1478年。
東方三博士の礼拝 1459-1537。 ボッティチェッリ作「ヴィーナスの誕生」1485年。
美術館の窓から見るベッキオ橋。 美術館のテラスから見るベッキオオ宮。
眠れるアリアドネ ローマ 2世紀。 バッチオ バンディネリ作 「ラオコーン」。
カラヴァッジョ作「バッカス」1597年頃。 カラヴァッジオ作「メドゥーサの頭部」。
ラファエロ作「ヒワの聖母」。1507年。 ジュリアーノ・ブジャルディーニ「授乳の聖母」。
カラバッジョの描いた、復活したイエスの脇腹に指を入れる聖トマス。 テツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」1538年。
ベッキオ橋。フィレンツェを流れるアルノ川に架かる。現在の橋は1345年に再建されたもの。橋の上に宝飾店が建ち並んでいる。
ベンヴェヌート・チェッリーニ彫刻家のブロンズ像。 サンタ・トリニタ橋。
ポル・サンタ・マリア通りを抜けドゥオも広場に向かいます。 路上アーテェスト。
レプッブリカ広場 ドゥオモ広場手前サン・ジョヴァンニ洗礼堂・ジョットの鐘楼・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。
サンタ クローチェ聖堂。「サンタ クローチェ」とは「聖十字架」の意味。イタリアの著名人が多数埋葬されていることから、「イタリアの栄光の聖堂」としても知られています。1857年から 1865 年にかけて加えられたネオゴシック様式の美しい大理石のファサード (正面) です。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の東門の黄金の扉。ギベルティによって作られ、ミケランジェロによって「天国の扉」と絶賛されました。旧約聖書のストーリーを10枚のパネルに彫刻しています。右はイスラエルの人々が、約束の地を求めて旅をしている場面でしょうか。テントが見えます。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、イタアフィレンツェにあるキリスト教カトリックの教会。1296年から140年以上かけて建設された。外装は白大理石を基調とし、緑・ピンクの大理石によって装飾され、イタリア的なゴシック様式に仕上がっている。クーポラとランターンは19世紀に完成した。全長153m、高さ107m。聖堂としては世界4番目の大きさ。
大聖堂の主祭壇の前の風景です。おごそかな祭壇の上に美しいステンドグラスが輝き、クーポラからやさしい光が落ちています。
天井画。周囲約40mの巨大な天井には神々しい「最後の審判」(フレスコ画)が描かれています。 天井に描かれたフレスコ画「最後の審判」です。1572年からジョルジョ・ヴァザーリによって制作が始まり、その死後を引き継いだフェデリコ・ツッカリにより1579年に完成された作品です。
祭壇の上の美しいステンドグラスが輝き。 幾何学模様で彩る、大理石の床。
パオロ・ウッチェロ作の時計。普通の時計とは違い逆回りに動き、「Ⅰ」はミサが行われる時間=日没を示しています。昔の人は今何時かよりも、日没まであと何時間なのかが重要だったようです。 ドゥオモの優美な燭台。
自由時間、ドゥオモ広場で一休み。 小腹も空いたのでピザ&コーク!
ピザです。 大聖堂の奥にクーポラが見える。
ベッキオ橋からチェッレタニ通りを通りサンタ・マリア・ノヴェッラ駅まで歩きます。 車道・歩道もこんな石畳!疲れます。
中央駅に着きました。 列車故障で80分の遅れ。 列車に乗車するときは自動検札機で刻印ます改札はありません。
フレッチャロッサ。「赤い矢」の意味。ETR500型による高速列車で、イタリアの「看板列車」である最高速度300km/hで走る。
(左)通勤用や小都市の接続用など多くのローカル線で使われる。
(右)インテルシティ。イタリア国内の都市間を結ぶ特急列車。機関車+客車の編成で運用される。
(左)イタリアの高速新線TAV高速列車を運行することを目的に設立された。 イタロのロゴマーク。
イタロの車内。フィレンツエ~ナポリまで。 時速300km/hで走行中。
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